僕の尊敬する植木さん
会社で席替えがあって、荷物を整理していたら、そん中に何年か前に取ってあった新聞の記事が出てきました。なんだっけと思って読んでいたら、だんだん思い出しました。これ、読んで泣いたやつだ。ついつい手を休めてまた読んでしまいました。なかなか片付けがはかどらないのはこういうことしてるからなんですが。
それは、コメディアンの小松政夫さんが、師匠である植木等さんの思い出を語った記事でした。
植木等さんといえば、私が小学校3年生の時に、授業で『私が尊敬する人』という作文を書いた時に、迷うことなく選んだ人でした。
思い出すだに、当時のクレージーキャッツの人気はものすごくて、それこそ、TVに映画にCMにレコードに大活躍。コメディアンとして相当に面白かったんだけど、ちゃんとしたジャズバンドとしても成立しているというところもなんとなくかっこよくて、大人にも子供にも人気があって、日曜日の夕方6:30から始まる「シャボン玉ホリデー」は、どんなことがあっても必ず見る番組でした。
そのクレージーキャッツのメンバーは7人いて、みんなそれぞれに個性があって面白かったんですが、グループを代表するスターは、やはり植木等さんでした。
この人が繰り出す数々のギャグも、映画の中の無責任男のキャラクターも、
そして、彼が歌う唄の歌詞も、大好きでした。
こんな感じです。
みろよ青い空 白い雲
そのうちなんとかなるだろう ♪ とか
♪ 人生で大事なことは
タイミングに C調に 無責任
とかくこの世は 無責任
コツコツやる奴ぁ
ごくろうさん ♪ など
当時、まじめにこつこつ働いてた日本人も、高度経済成長に振り回されて少し参っていた日本人も、ほんとに励まされていたと思います。
植木さんが亡くなった2007年に、『植木等伝「わかっちゃいるけどやめられない!」』という本が出ました。すぐに買って読みました。あんな大スターだったのに、評伝として出版された本はこれだけです。それまでに来た出版の企画は、すべて断っていたそうです。
これを読むと、ほんとに尊敬すべき素敵な人だったことがわかります。
演じるキャラクターとは違い、堅実な人であったこと。グループの中でみんなから愛され、まとめ役だったこと。売れに売れた頃、進むべき進路に悩んでいたこと。お酒は1滴も飲めず、質素な暮らしぶりだったこと。破天荒な生き方をしたお父さんを愛していたことなどが書かれています。
この本の中にも、当然 小松政夫さんが出てきます。弟子と師匠として関わった小松さんの話に、植木さんの人柄がにじみ出ています。
役者を志望して、19歳の時に福岡から上京した小松さんは、様々な仕事を経て車のセールスマンをしていました。ある時、植木等さんの運転手募集の記事を見つけ、600人の応募者の中から勝ちのこり、付き人兼運転手になりました。そして、小松さんが初めて植木さんに会ったのは、植木さんが過労のためダウンして入院していた病室でした。
小松談
ものすごく二枚目でした。いつもテレビで見ていた時の声じゃなく、もっと低いキーで、
「植木です」 って言って、
「この世界に入るのに、何の抵抗もないの?」 というようなことを訊かれました。
しゃっちょこばっている僕を見て、
「俺のこと、何と呼ぶようにしようか」 って言った後、
「先生なんて呼んだら張り倒すよ」 って。
その時、「ああ、植木等なんだ」 って、やっと思ったんです。
緊張をほぐしてくれたんです。それから真面目な顔になって、
「君はお父さんを早く亡くしたようだから、私を父親と思えばいい」 と言ったんです。
その時に思ったんです。ああ、この人についていこう、生涯ついていこうって。
それから半年ぐらいで、小松さんは小さな役をいろいろ貰うようになり、ハナ肇さんからも、チャンスをもらい始めました。
その頃に、植木さんの有名なギャグ「お呼びでない、こりゃ、また失礼いたしました」は、小松さんが植木さんの出番を間違えて生まれたというエピソードがありました。
小松談
うそなんですよ。植木の思いやりですよ。私がセールスマンだった時に、あのギャグはすでにやってました。
「出番じゃないとリラックスしていたら、小松がねえ、何やってんですか、とせっついた。飛び出したら、ハテナという顔をみんなしてるから、できたギャグ」と、どこでも言うんです。
「こいつは面白いよ、使ってやって」とも。
あの聡明な植木が、間違えるはずがない。私の手柄にしてやろうと思いついたに違いない。
後に、奥さんには、
「小松が育ったのが、誇りだったのよ」と言われました。
3年10カ月経って、植木さんの付き人を卒業した時の話が、またいいです。
小松談
そうです。車を運転していて、突然後ろから言われたんです。
「明日から、来なくていい」 って。
青天の霹靂でした。私の独立にむけて、給料もマネージャーも決めてあった。
「社長も大賛成だと言ってる。だから、明日からは俺の所に来なくていいんだ」 って。
涙で前が見えなくなり、車を止めさせてもらって、声を出して泣きました。
・・・・・
何分くらい泣いてたのかな。その間、ずっと黙って待っていてくれて、
しばらくして、
「別に急がないけど、そろそろ行くか」 って。
僕は我に返って、「はい」 って言って車を出したんです。
粋だったですね、やることが。
私が小学校3年生の時の作文で、、尊敬する人に、植木等さんを選んだことは、本当に間違ってなかったと思ったのでした。つくづく。
何でもいいから一度お会いしたかったです。
谷啓さんとは、一度仕事でお会いしました。音楽を作ってくださったんです。
これはホントに嬉しかったです。
録音中、得意の「おや?」というギャグをやってくださいました。しびれたなあ。
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