「ありふれた奇跡」と「早春スケッチブック」
3月に、「ありふれた奇跡」というテレビドラマが終わりました。毎週1時間、11話完結でした。全部録画して、先日まとめてみたのですが、期待したとおり、いいドラマでした。
これといって派手なことは何も起こらないのに、常に次の回が気になってしまう展開で、完全にはまってしまいました。気がつくと最終回には泣いておりました。
なぜ、全部を録画したかというと、それが山田太一さんの脚本であったことと、山田さんが、これを最後にもう連続ドラマは書かないと宣言したと聞いたからです。山田さんは、僕らが高校生のころ、いわゆる70年代から、今まで、本当に数々のテレビドラマの名作を書いてこられた脚本家なのです。
「ありふれた奇跡」には、ある男女が出会ってから結ばれるまでのお話と、並行してそれぞれの家族が描かれています。淡々と日常を追いかけているのですが、登場人物たちの設定のリアリティと、彼らが交わす台詞の力にぐいぐい引っ張りこまれてしまいます。
山田さんが最もシナリオを書いたであろう70年代から90年代にかけては、たくさんの名作が残されています。「男たちの旅路」「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」など、テレビドラマの歴史を変えたといわれるようなものも、このころ書かれています。
そのころ、私はというと、若くて忙しいころでもあり、これらの作品が放送されたときに、テレビの前に座っていることは、ほとんどありませんでした。当時は、ビデオ機器も持っておらず、たいてい見過ごしておりました。
ただそのころ、テレビドラマの名作の脚本は、わりと本として出版されていたので、本屋さんに並んだものは、はしから買って読んでいました。山田さんだけでなく、向田さんや、倉本さんや、早坂さんの脚本もずいぶん出版されました。脚本には配役も全部載っていましたから、いろいろなシーンを映像として想像しながら読むのは、なかなか面白かったです。
それと同時に、何と言ったらよいか、この完成度の高い、ものすごい精度で書かれた設計図のようなシナリオを渡された、役者もスタッフも相当なプレッシャーを感じただろうなと思いました。
昨年、会社の後輩のプロデューサーが私に、
『山田太一さんの「早春スケッチブック」は、みましたか。』と聞くので、
『みてないけど、読んでる。あれは名作や。』と答えましたところ、彼女が、
『DVD化されたので、全巻買ってみましたが、すばらしかったです。ご覧になりますか。』
といいました。
『君は、すばらしい人です。是非、貸してください、全部。』
みせていただきました、全部。
『早春スケッチブック』は、1983年に、フジテレビで放送されています。
登場人物は、郊外に住む4人家族、夫婦と高校生の息子と中学生の娘、それと、妻の昔の恋人と、彼を慕う女性が一人。ほとんどこの人たちだけで、13話も持ってしまうお話になっています。当時脚本を読んで、本当に強く印象に残っていて、機会があれば是非ドラマをみたいと思ってましたが、二十数年経ってみたドラマは、いろんな意味でほんとによくできていました。
配役も、それぞれ良いのです。
昔ちょっとわけありだけど、今は平凡な主婦に岩下志麻さん、信用金庫に勤める夫に河原崎長一郎さん、大学受験生の息子に鶴見辰吾さん、問題の、妻の元恋人に山崎努さん、山田さんは、この役は完全に山崎さんを想定して脚本を書いたといわれていたと思いますが、確かに、ほかに誰がこの役をできるのだろうかとも思います。その山崎さんを慕う若い女性に、新人時代の樋口可南子さん、これもいいです。
ただ、脚本が面白くなければ、いい役者も生きないし、ドラマも面白くなりようがないのは確かです。
うちの高校生の娘が、DVDを横でみていて、
『岩下志麻さんて、こういう主婦の役とかもやってたんだ。それにしてもうまいね。』
などと感心しておりました。極道の妻しか知らないのかもしれません。なさけない。
山田さんが、もう連続ドラマを描かないといった心情を語っておられます。
『もう連続ドラマは描かないと決めたのは、時代の変化を感じたからです。やはり連続ドラマにも時代の流れがあり、ある時ふと「自分は違うかな」と思った。1人の作家が、どの時代にも適応していくのは、むしろみっともないことのようにも思えたんです。流れから外れるからこそ作家であるという気持ちもありました。』
そうかもしれません。おっしゃっていることは本当に深いと思います。
でも、久しぶりに見せていただいた連続ドラマは、「早春スケッチブック」のころと変わらぬ作家としての姿勢を感じました。その姿勢に私たちは打たれていたと思います。その姿勢を感じる脚本家を他に知りません。どうかまた近いうちに、次の連続テレビドラマをみせていただきたいとつくづく思ったのでした。
コメント