「存在のない子供たち」という映画の力
映像の監督で、脚本家でもある友人がおりまして、その人からこのレバノン映画を薦められたので、すぐに観てきました。私にしては珍しいことなんですが、いま周りの人に、この映画をぜひ観るように薦めております。
「存在のない子供たち」というこの映画には、それこそ子供たちがたくさん出てきますが、ちょっと何とも言えないリアリティがありまして、これはドキュメント映画じゃないかと錯覚させるような世界観があります。
ベイルートの貧民街で暮らす人々、学校に行けず路上で日銭を稼ぐ子供、移民難民の不法労働者、児童婚、人身売買など、目を覆いたくなるような貧困と不幸が、次々に描かれます。主人公の子供たちの多くは、両親が出生届を出していないため、証明書を持たない。また親が不法移民であれば、法的に存在しない。
映画は、そういった背景の中で、ゼインという12歳の少年を追います。
朝から晩まで、両親に劣悪な労働を強いられ、唯一の支えだった妹のサハルは、形式的な結婚という形を取り、中年男性に売られてしまいます。怒りと悲しみから、家出したゼインは、エチオピアからの不法移民労働者の女性ラヒルと知り合うが、ラヒルは逮捕され、彼女が残した赤ん坊の面倒をみることになります。子供だけでの生活が続く中、ゼインは、妹が妊娠し死んだことを知ります・・・
この映画の監督は、レバノンのナディーン・ラバキー、40代の女性で、俳優でもあり、この映画に弁護士役で少し出ています。美人ですよ。
彼女は、脚本に3年をかけ、長いリサーチの中で実際に出会った人々や、体験を観察し、ディティールを大事にしたそうです。ゼインをはじめとするキャストのほとんどは、プロの俳優ではなく、難民や元不法移民、そしてベイルートの貧民街で暮らす人々です。
撮影は、脚本があるからと決め込まず、彼ら自身の経験を物語に寄せていったと云います。主人公のゼインを演じた、同名のゼイン・アル=ラフィーアは、シリア難民として家族でレバノンへ逃れたものの、貧しい生活を送り、学校になじめず、10歳からアルバイトで家計を助けていた少年なのですね。
このような映画製作に対する姿勢が、この作品のリアリティにつながっていると考えられます。そして、表現物から伝わってくるのは、本当につらい現実です。出口の見えないこの街の状況に息が詰まる思いですが、この映像がこちらに語りかけてくるのは、そんな中でも人が生きて行くエネルギーであったり、大変な確率で生を受けた命であれば、いつか祝福されることを祈らずにはいられない気持ちなど、ただネガティブな世界を見たということではなく、かすかな希望を感じずにはいられない読後感がありました。
この映画の持っている子供たちのリアリティの賜物かもしれません。
帰り道に、この映画で知った様々な現実に打ちのめされながら、希望を込めて、多くの人に、この映画を見てほしいものだと思ったんですね。
本来、映画というものが持っている力とでも云うのでしょうか。そういう体験でした。
後日、ネットでこの映画に関する解説を読んでいたら、「存在のない子供たち」が国際的な映画祭で注目を集め、様々な国で劇場公開が決まり、映画が世に出たことで、出演者たちに良い変化がもたらされたことが書いてありました。
監督談
「例えば、ゼインは国連難民高等弁務官の助けによって、いまは家族でノルウエ―で暮らし、これまでとは違う人生を送っています。ケニアの女の子ヨナスは、幼稚園に通うようになり、路上でガムを売っていたシドラは、いまは学校に通い、この作品に参加した影響か、映画作家になりたいと云っています。私たちも基金を立ち上げ、彼らを助けたいと思っているし、少しずつ彼らが独立して生活できるように、そんな未来になるように力添えをしたいと思います。道は長いですが。」
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