« 永遠の嘘をついてくれという歌 | メイン | 萩・津和野 うたた寝旅 »

2016年8月 1日 (月)

お好み焼き文化圏

大雑把に云えば、この国の西の方で育った人にとって、お好み焼とか、たこ焼とか、きつねうどんであったり、いわゆるメリケン粉で構成された食べ物というのは、食生活において重要な位置を占めます。特にお好み焼というのは、粉物ソース味の分野で中心的な食品であります。

私が育った神戸だったり広島だったりという町には、大げさではなくお好み焼屋が街の1ブロックに一軒はありました。繁華街には大きめの鉄板で何人かの兄ちゃんが焼いてくれる大型店もありますが、多くは、おばちゃんが一人で焼いているような、小ぶりなお店で、鉄板の周りに7~8人並べばいっぱいになるような店です。だいたい昼食時はいっぱいですが、そのあとはパラパラで、夜になるとそこでビール飲んだりするんですね。お客さんは老若男女、子供から年寄りまで、だいたいが顔見知りであったりします。私が子供の頃ですからずいぶん昔のことですが、多分、今も変わってないんじゃないでしょうか。どうだろ。

ところで、一言でお好み焼といってもですね、土地によっても店によっても、色々と違いがあります。東の人から見ると、どれもメリケン粉中心で材料も同じようなもんだし、味は最後にこってりかけるあのお好みソースの味になってしまうのだから、どれ食べてもそれほど変わらないんじゃないかと思われるでしょうけど、それがそうでもなくてですね、それは店によっても、ちょっとした作り方によってもけっこう違いがあるんですよ、これが。

細かいこと云いだすときりがないんですけど、お好み焼には大きく分けて二つの分類がありまして、お気付きかも知れませんけど、関西風と広島風というのがあります。いわゆる全国区で一般的にお好み焼と呼ばれているのは、関西風でありまして、広島地区で焼かれているスタイルを広島風と呼びます。ただ、広島では、けっして自分達で広島風とは呼びませんが。

両方の地区で育った私としては、どちらが良くてどちらが美味しいというのはなくてですね。それぞれにちゃんと美味しいわけですが、これは似て非なるものではあります。

わかりやすく云えば、関西風はメリケン粉を溶かせた生地と、具を、まず混ぜてから鉄板で焼くのですが、広島風はまず生地だけを薄く広げて焼き、その上にいろんなものを載せて行きます。ここからは多少細かくなりますので、私が焼く時の手順をご紹介することにします。

まず、鉄板に薄く伸ばした生地の上に、鰹節をたっぷりとかけ、千切りキャベツをどっさり、これは山のように載せ、その上からたっぷりもやしを、フワッとひろがるように載せます。 崩れそうになっても怯まず、その上に天かすを大さじ一杯ほどかけ、青ネギをかけます。その上にイカ天です、これは薄いイカを天ぷらで揚げたもので、広島ではどこでも売ってますが、関東ではなかなか手に入りません。多少塩コショウをしてから、豚バラ肉をきれいに広げてかぶせるように並べますね。その上からおたまで軽く生地をかけたら、お好み焼の両側から素早くコテを差し入れて一気に裏返します。この山のように盛り上がった物体を引っくり返すのが、技術的には最も難易度の高いところですが、ビビらずにやります。ここで大切なのはスナップを利かせることです。

たいていの場合、具が多少散らかったりしますが、コテでまた集めて整えれば、見てくれは良くなりますから大丈夫です。このあとは、しばらく蒸し焼き状態にしますが、ボーっとしてる場合ではなく、横の空いたスペースでソバを炒めます。ソバは市販の焼きソバで構いませんが、お店では生の中華麺を湯掻いたものを使うことが多いです。この時少しウスターソースをかけてソバに下味をつけます。この焼きソバを丸く広げた上に先程のお好み焼を載せましたら、その横に卵を割りまして、コテで素早くお好み焼の大きさに広げ、その上に焼きソバに乗っかったお好み焼を載せ、この重なった物体を一気に引っくり返します。ここはある程度スピードが必要で、技術的難易度が2番目に高い工程です。ここもスナップ大事です。

ここまでくれば、ほぼ完成、あとはお好みソースをかけますが、ソースは地元で作られているオタフクソースというのが一般的です。細かく云えば他にもたくさんソースはありますし、いろいろなソースを混ぜたりする方もいらっしゃいますが、それほど大きな違いはないかと思われます。その後、おこのみで青のり、かつお、マヨなどをかけて召し上がれとなります。

このお好み焼を作るうえで、その味を左右する最も大事なことは、各工程における焼き加減、つまり鉄板の温度と焼き時間かと思われます。

ちょっと饒舌になっちまいましたが、一応こんな風に焼かれておるわけです。

広島風は関西風に比べると、こんなふうにわりと手が混んでいて、引っくり返す時の緊張感もあったりしますから、基本的にはお店の人に焼いてもらって食べます。お店でプロの焼き手のテクを観察して、家に帰って自宅の鉄板で練習をして技を身に付けていくわけです。同じように、関西風は自分で焼いて食べれる店もありますし、こうやってお店で覚えた技や、材料に関する知識を、自宅で研究します。西の方ではたこ焼きを含めた粉物の製作体制が、どこの家庭でも整っているのです。

街でも家でも、そのようなメリケン粉環境の中で、私たち住民のメリケン粉摂取率は非常に高いと云えます。ジョコビッチのグルテンフリーダイエットとかは、ありえませんね。街中で四六時中、好きな時に食べられますから。高校の頃は、週に何度かは昼休みに学校の塀を乗り越えてお好み焼屋行ってました。ときどき生活指導に捕まって体罰くらったりしてましたけど、怯みませんでしたね。どこの高校も同じようなもんだったと思います。

ただ、不思議なんですけど、そのあと東京で暮らし始めた時、お好み焼のことは暫くすっかり忘れてました。何だか全く別の文化圏に来ちゃったような、外国で住み始めたような、思い出すと懐かしいんだけど、もうすでに諦めてるみたいなとこがあった気がします。

お好み焼文化圏に仕事で行ったり、旅したり、帰郷したりすると、なんか旧友に会ったような気持ちになるんですけど、それは東京で求めても仕方のないことと思ってるんです。多分、好物というよりも主食に近い感覚なのかもしれません。

 

ただ、そうこうしてるうちに、東京にもだんだんお好み焼屋が出来てきまして、広島風の店も今では普通にいろんなとこで見かけるようになりました。広島のアンテナショップに行けば、本場のソースもイカ天も手に入るようになり、家庭で地元と同じ味が再現できるようになりました。新幹線の移動時間がどんどん短くなるのに比例するように、お好み焼は益々近くに存在するようになってきます。

そうなったらそうなったで、東京のお好み焼屋に行くと、わざと割り箸を割らないで、小さなコテだけで鉄板からお好み焼を食べたりして、まわりの人たちが、それを珍しそうに見たりすると、いかにも、

「あ、わたし、お好み焼文化圏の人間ですので。」

みたいな顔したりするんですね。なに威張ってんだかなあ。

Okonomiyaki_2


 

 

コメント

コメントを投稿