わたしの自動車のこと
この前、何かの本読んでたら、自動車の歴史のことが書かれてたんですけど、いわゆるガソリン車は明治維新のころにはすでに、ヨーロッパで発明されており、その後着々と進化を続け、ご存知のように20世紀から今日に至るまで、人類の歴史に多大な影響を与えてきました。
というようなことはともかく、そこで自分と車のことを考えてみたわけです、ふと。
私が運転免許を取ったのは、大学生の時で1974年頃だったと思います。その10年前、1964年の東京オリンピックの前から日本はものすごい勢いで道路を整備し始め、自動車先進国の仲間入りを目指します。そして自動車産業は国の根幹をなす産業となり、車の保有台数も年々増え続けました。
私が小学生のころには、一般の家庭に自動車などなく、運転免許を持ったお父さんも、あんまりいませんでした。たまに親戚のおじさんが仕事で使ってるオート三輪車の荷台に乗せて走ってくれたりすると、ほんとに嬉しかったもんです。多分その頃から10年ほどで自家用車というジャンルの車がすごく増えたんじゃないかと思います。なんか18歳になったら運転免許は取っとかなきゃみたいな世の中になって、男は大人になったら酒と煙草と運転免許証がセットということになってた時代です。
でも、運転免許取ったからすぐに乗る車があるわけでもなく、友達が自宅から乗ってきた車に乗ったりしてたんですね。そのうち車好きな仲間が増えてきて、やたら改造した車を自慢する奴とかがいて、そんなに云うんなら運転させてみろよみたいなことで、首都高速一周タイムトライみたいなこと始めるわけです。それからちょっと調子に乗って、「首都高の銀狐と呼んで。」などとバカなことを云ってる時期があって、そのうち、第三京浜の入り口のカーブでスピンして、1回転半して反対向きになって止まっちゃったことがあって、そのあとちょっと大人しくなったような気がしますね、わかりやすいです。
で、ちょっと熱も冷めた頃、大学の友達が自宅で乗ってた車を廃車にするんだけど、まだ走るし、車検も1年残ってるから買わない?って云うから、いくら?って聞いたら、「5万円で」という話があって。
当時4万円の仕送りで、家賃1万円で暮らしてたから、けっこう無理なんだけど、彼も金にしたかったみたいで、分割でいいってことになって、バイトで何とかするかって、軽はずみな決断をしてしまうわけです。
そして私のアパートの脇の路地に停められることになった車が、スズキフロンテ360という軽自動車でした。排気量360ccのかなりの年代物でしたから、高速なんて乗れませんし、なんだかトコトコ走る感じでしたが、はじめてのマイカーでもあり、可愛い奴でしたね。
でも、それから3カ月くらいした頃、代官山のわりときつい坂道登ってたら、突然バキッと音がして動かなくなり、いわゆる車軸が折れて、オシャカになりました。
それが、はじめてのマイカーとの出会いと別れでありました。
それからしばらくして、まだ学生だったんですけど、ある自主上映の映画団体で、16mmの映画を一本撮ることになり、そこで助監督兼、撮影計測兼、スチール担当をやることになったんですね、いろいろあって。撮影の準備しながら、軽トラでもいいから荷物運ぶ車がいるなと思いつつ、多摩川淵を歩いてた時に、小さな中古車屋に置いてあった小さなジープと目が合っちゃたんです。ちゃんと4輪駆動にも切り替えられるし、屋根はホロだから、はずせばフルオープンにもなります。カメラ載せれば移動も撮れるなと思った瞬間、店のオヤジに交渉を始めてました。値切りに値切って、粘りに粘って、30万位にしたかな、それから、考えられる最も長いローンを組んでもらったんですね。映画の事務所には相談できません。監督以下スタッフはみんな社会人だけど、持ち出しで映画作ってるんです。ガソリン代払ってもらうのがやっとです。でも、思った通りこの車は大活躍し、映画が終わっても長いこと私のアパートの脇の路地におりました。この車がスズキジムニー360。またしてもスズキさんの軽自動車なんですけど、360ccでジープっていうのがすごいですよね。スピードならでません。ジムニー君には私が社会に出て働きだしても乗っていて、仕事でもよく使いました。でも、就職して1年くらいの時、五反田の東洋現像所から現像したフィルムを受け取って、品川の御殿山を越える坂を登っていたら、車軸が折れたんですね。車軸が折れるってあんまり聞かないですけどね、このごろ。
その次は、いすゞの117クーペというのを買いました、これは知る人ぞ知る名車なんですね、はじめて軽じゃない車だし。ただ恐ろしく年代物で、カーステレオのカセットが8トラックでしたね。こんなこと云っても今の若い人知らないと思いますけど。値段は20万でしたか。
そういうことだから、この車の寿命も長くはなく、その次に乗ったのが、先輩のCMディレクターの方から譲り受けたAudi、すでに10万kmは走ってましたけど、外車です一応。この車はよく煙が出た記憶があり、時々突然止まってしまうことがありました。首都高速のトンネルの中で急にエンジンがとまってかからなくなった時には、後ろから来たタンクローリーに思いっきりクラクションを鳴らされて死ぬかと思いました。
ここまで書いてみて思いましたけど、東京に出てきて30過ぎまでに4台の車に乗って、
その値段の合計が100万円に届いてないのもすごいなと。
でまあ30代も半ばになって、5台目にして中古車ですけど世間でいうところの人並な、値段もそれなりにまともな車を買うことにしました。
ボルボ240エステートGLというワゴンタイプの、当時いいなと思ってた車で、シルバーグレーメタリックっちゅう色も、気に入りました。あのころ、ボルボは世界のボルボだったし、頑丈で重厚で足回りも良く、いい走りするんですけど、電気系統に当たり外れがあったんですね。私のは外れでした。毎年夏にエアコンつける頃になるとエアコンが壊れるわけです。スエーデン製の車だから日本の夏の暑さに合わせたエアコンになっていないという中古車屋のオヤジの苦し紛れの言い訳も、聞くたびに腹立たしかったなあ。
そういえば、ちょうどその頃、「危険な情事」という映画があたっていて、主人公のマイケル・ダグラスが、偶然関係を持ったちょっと異常な女グレン・クローズから、超おっかない目に会う話で、その中で女に燃やされちゃうマイケル・ダグラスの車が、型も色も全く私の車と一緒だということを、ある知り合いのディレクターが教えてくれてました。映画観にいったら僕の車がほんとに燃やされてて、悲しかったですね。
そんなことで、ふた夏ほどでこの車とも別れ、その後4台乗り継いで今の車に至るのですが、一台一台それぞれに思い出とかエピソードがあります。そのほかにも、知人の車のことや、長年かかわった車のCMのことなど、いくらでも話のネタはあるんですけど、きりがないのでこれくらいにしときます。
それにしても、最近の車って、あんまり壊れませんよね。やっぱり着実に進化してるんですかね。私の場合、車の思い出って、まず故障の思い出なんですけど。
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