« 冬景色 | メイン | 春、家族、旅 »

2013年3月22日 (金)

歩くということ

この冬、年末年始のあたりに、どうも身体が重くなったかなあという自覚と、なんか身体が硬く曲がりにくくなったかなあという実感があり、また客観的にも、妻からの「ますます腹が出てきた」という警告と、娘から「おデブちゃん」とあだ名をつけられたことなど、まあ、どう考えても太ってきたわけです。

意を決して体重計に乗ってみれば、数字的現実が否応なく突き付けられます。

なんとかしなければ。

原因はわかりきっていて、不摂生と運動不足です。

運動不足で思い当たるのは、最近自転車通勤がちょっと億劫になっているのと、秋に大切なゴルフ友達を亡くしてしまってから、ゴルフのラウンドと練習がめっきり減っていることが考えられます。

で、よしっ、歩こうと思ったわけです。この体重で走るのは危険だし、O桑君やW辺君のようにフルマラソンを走るというのは目標が遠大過ぎて現実的でないし、ただ朝1時間ほど歩くのであれば何とかなりそうな気がしたんですね。それで、春になったら始めようなどと云ってると、結局やんなくなっちゃうことも、自分の性格上わかっていることなので、思いついた日の真冬のまだ雪が残っていた朝から始めてみたわけです。寒かったですけど。

でも、やってみると、意外に前向きに取り組めたんですね。

歩くコースということで云うと、わりと環境的に恵まれていて、私、杉並に住んでるんですけど、うちから神田川にも善福寺川にも5分で行くことができ、この二つの川の川沿いは整備された遊歩道になっていて緑も豊富なんですよ。

これを利用して、おおざっぱに4つの歩きコースができます。

神田川を西に行くコースは、環八を越えて久我山まで行って、久我山にいくつかある運動場の周りを通って帰ります。東に行くコースは、明大前の手前を北上し、大宮八幡宮の境内を抜けて善福寺緑地に出て帰ります。

善福寺川を西に行くコースは、桜並木をひたすら荻窪方面に行って、川の反対側の歩道を帰ってきます。東に行くコースは、和田掘公園を抜けて環七の手前から大宮中学のとなりのやたら大きなグランドを一周して帰ってきます。

どのコースもこれでだいたい1時間。1時間歩くとだいたい8,000歩から9,000歩くらいです。歩幅を測ってみると85cm前後なので、約67km歩くことになり、真冬でもみっちり汗をかきます。何か身体にはいいんじゃないかと思えるんですが、この程度ですぐに体重が減るほど甘くはないです。せいぜい増加を食い止めるくらいですが、まあ続けてみようと思ってます。

去年、会社で支給されたipad2で、ウォーキング用のBGMも編集しました。このところ聴いているのは、中島みゆきと浅川マキと和田アキ子と都はるみと加藤登紀子がはいった全51曲のロール、これちょっとすごいんですね。あと、ちあきなおみ全59曲というロールもあります。こういうお姉さまたちの唄には、なんかこう、みっちりと人生が詰まっております。

こういうの聴きながら、もくもくと無心に歩くんですね。

それから、歩き始めて1ヶ月くらいのころから桜のつぼみが膨らんできました。そのあと、今年は急速に暖かくなりあっという間に咲き始めたんです。あらためて思いますが、日本人て桜が好きなんですね。どのコースにも見事な桜がそこここにあります。早朝の陽の光にうかぶ桜は、ちょっと感動的にきれいです。若い頃、桜も早起きも大嫌いだったのに、変わるもんです。歳とったってことでしょうか。

朝、こうやって黙々と歩いていると、急に涙がハラハラと出てきてしまうことがあります。サングラスの下から出てきて止まらなくなります。理由はわかっていて、去年の晩秋から今年の冬にかけて、大事な仲間が急病で次々に4人逝ってしまいまして、かなりこたえていて、なにかのきっかけで急にこみあげてきてしまうんです。本当によくしてもらった人たちでしたから。朝の景色が日に日に春めいてくると、今年も元気でいたなら一緒に花見をしたりしたんじゃないかとか思っちまうわけです。春がきれいならきれいなぶん、切ないですね。Aruku3

寺山修司が愛した「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」などという詩を浮かべてみたりしますが、なかなか気持ちのおりあいはつきません。

やがて桜も散って、新緑になって、雨の季節が来て、蝉が鳴くのでしょうが、私の朝の散歩はいつまで続くでしょうか。

 

コメント

コメントを投稿