冬景色
今年の冬は、のっけからすごい寒波で、1月には10何年ぶりの大雪が降ったかと思えば、たまに春のような日があったり、相変わらず東京の冬はいろいろな表情をします。いろいろな土地の冬を見てきましたが、やはり、長く暮らしている東京の冬が私にとっての冬です。
この自分にとっての東京の冬を、聴いたとたんに思い浮かべる曲があります。
これは、あくまで私の感じ方であって、誰でもということではないと思うのですけど。
1977年に出された荒井由実の4枚目のアルバムに入っている「さみしさのゆくえ」という唄です。
「さみしさのゆくえ」
さいはての国でくらす あなた帰って来たのは
おだやかな冬景色が なつかしかっただけなの?
どこかで会おうと言って 急に電話くれたのも
昔の仲間のゆくえ ききたかっただけなの?
悪ぶるわたししか知らず
あのとき 旅立って行った
お互い自分の淋しさを抱いて
それ以上は持てなかったの
こんなわたしでもいいと 言ってくれたひとこと
今も大切にしてる私を笑わないで
したいことをしてきたと 人は思っているけど
心の翳は誰にも わかるものじゃないから
悪ぶるわたししか知らず
あなたはまたすぐ行くけど
他人の淋しさなんて救えない
夕陽に翼を見送る
残った都会の光 見つめてたたずめば
そのときわたしの中で 何かが本当に終わる
歌詞で冬のことを言っているのは、最初の2行だけなんですけど、この詩の背景になっている物語といい、メロディといい、編曲といい、聞くたびに東京の冬を想います。
ある女の子の、昔の恋人との再会と別れ、そして青春との決別。
というようなことなんですけど、そのあたりちょっと切なくて、浮かぶ風景はあくまで冬の東京です。
この曲が入ってるアルバムは、荒井由実さんが荒井さんとして出した最後の一枚で、1976年末には、結婚して松任谷さんになってるんですけど、このころ、22歳くらいなんですね。私もほとんどこの方と同い年なんですが、この当時、個人的にはあまり曲のこと知りませんでした。どちらかというと同世代の女性から圧倒的な支持をされてましたね。
それから今に至るまでの活躍は言うに及びませんが、荒井由実時代の3年間も、そのあと松任谷由実になってからも、このころ、いわゆるこの人の代表作が目白押しです。
20代の前半、結婚の前後、彼女はすでに天才の名をほしいままにしていました。
「さみしさのゆくえ」という曲は、10年くらい前にたまたま車でCD聴いてて出会ったんですけど、たぶん、荒井由実のたくさんの名曲の中では、それほど上位にはなかった曲かもしれません。しかし、詩も曲もこの人の作家性が溢れています。
あの頃、というと、この曲が作られ、荒井さんが松任谷さんになって新婚の頃ですけど、私はある仕事で、毎年真冬の北国に2週間くらい行っているのが習慣になっていました。10年ほど続いたと思います。
雪の中、磐梯山からの吹き下ろしで、飛ばされないように斜めになってこらえながら畦道を行く幼稚園児たちや、一晩に1メートルの積雪で、景色が一変してしまった富山の山間の村や、地吹雪で一瞬にして視界から消えた富良野の馬たちや。今までに見たこともない北国の風景のあとに、帰りついた東京の冬は、ほんとうにおだやかな冬景色でした。あの頃この曲を聴いてたら、もっと沁みたかもしれません。
でも、最初に聞いてからずっと忘れない曲になりましたから、きっと私の記憶の何かにグサッと刺さったんだと思いますね。音楽と人の関係ってそういうとこありますよね。
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